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200423 初年次ゼミに向けて

初年次ゼミ「住宅エネルギーの歴史と未来」を受講する学生さんたちへ

今回、この初年次ゼミを担当する、工学部建築学科の前真之(まえまさゆき)です。今後よろしくお願いします。

自分が25年前に皆さんと同じ立場だったときは、初年時ゼミというものはなく、大きな教室での座学しかありませんでした。当時はまだパソコンはDOSWindows3.1しかなく、発表はOHPのフィルムをプロジェクターで投影していたものです。25年の月日を経て、ITCを活用した授業を通してみなさんと一緒に考えられることを楽しみにしています。

初年時ゼミにはいろいろな形態とテーマがあります。このゼミで皆さんに考えていただきたいのは「正解のない問題を他人と一緒に考える」ことです。皆さんは受験勉強を経てここにいるわけですが、そこで解いてきたものは「正解がある問題」ばかりだったはずです。しかし、実際に現在の社会で問題となっていることのほとんどは「正解がない問題」です。誰にとっても明らかな正解がないために、立場や利益によってさまざまな意見が噴出し、まともな議論もできない場合がほとんどです。

日本は「和の国」をいわれますが、私にとっては議論や調整が苦手な国民性に感じられます。日本語で「意見する」とは「反対」を意味するネガティブな場合がほとんどです。空気を読み摩擦を回避することが最優先され、解決を一緒に目指すための議論や意見合意ができません。国家や大企業でおきていることを見れば、思い当たることが多くあるのではないでしょうか。

ゼミのテーマは、住宅とエネルギーという、我々一人ひとりにとって極めて身近な2つのテーマを扱います。みなさんは人生の時間の半分以上を住宅の中で過ごしますし、エネルギーの恩恵がなければまともな暮らしは成立しません。しかし、住宅とエネルギーのことをまともに考えたことは今まであったでしょうか?

自分は住宅とエネルギーの関係を25年以上研究していますが、知れば知るほど、この2つが人間そのものと極めて深く結びついていると感じています。建築環境工学はその関わりを読み解く1つの手段ですが、それだけでは到底追いきれない。社会全体、そして個人1人1人の生き方・考え方に根差したものです。

日本における住宅の質の低さが多くの人々の健康を傷付け苦しめていること、そしてエネルギーの問題が繰り返し戦争を引き起こし、地球環境まで破壊しようとしている状況で、議論ともいえない罵声の応酬、または沈黙・無視がまかり通るのはなぜなのでしょうか。

皆さんは理科1類・2類の方々ですので、将来は工学・農学を専門にされるのだろうと思います。私は理科1類から工学部建築学科に進学し、建築環境工学を専門にしました。建築環境工学は、建物内外の環境を人間にとって健康・快適に保つとともに、地球環境との折り合いもつけるための「工学」です。25年工学を学んできましたが最近になって、「人がどう暮らしたいか目標が分かっていれば工学は実現方法を提案できる」が、「目標そのものを工学が決めることはできない」と感じています。

皆さんは、これまでの学習と受験を経て「期待されている答え」を探すことに慣れていると思います。この授業では、私は答えを示しませんし採点もしません。社会の正解のない課題を考え、望ましい姿、解決策を探し求めるというアクティビティについては、学生も教員も全く同じ立場です。多くの時間は他人とのグループワークによる情報収集と議論に費やされ、最後は個人ワークで自分なりの答えを出すことが求められます。一個人として、仲間に自分の考えをさらす勇気が必要なのです。

最後のテーマは2050年についてです。皆さんにとっては一番活躍している時期です。たった30年後です。あっという間に来ます。私にとって、はるか未来だったはずの2020年がすぐ来てしまったように。問題に目をつむっていても、逃れることはできません。

みなさんのこれからの人生には、これからたくさんのことが待っています。このゼミのこともすぐに記憶からなくなるでしょう。でも「正解のない問題を考えた」経験が少しでもみなさんの人生に有益であることを願っています。

200421 卒論生の人たちへ

卒論生の人たちへ

今日は卒論生の人にはじめて参加していただき、ありがとうございます。研究室の人たちと交流して、卒論について考えていってもらえればと思います。

前研で行っていることは、皆さんにとって興味が持てることかもしれませんし、興味が持てないことかもしれません。もちろん、興味を持って一緒に研究していければうれしいですし、興味を持てなければ少し寂しいことではあります。

でも我々は先人が築き上げてくれた、個人の自由を尊重する社会の中で幸いにも暮らしています。個人個人が自分の興味を追求し、自身の個性を最も発揮できると信じる形で社会に貢献することを期待されているわけです。研究室で行われていること、取り組んでいることに対し、興味を持つ持たないは皆さんの自由です。

ただ一つだけ、これは忘れないでもらえるとうれしいのですが、皆さんは必ず人生のどこかで、「社会はどうあるべきか」「あるべき社会に向けてあなたは何を貢献できるのか」について、必ず問われることになります。

前研で行われていることは、自分や谷口さんや協力してくれる方々、そしてみなさんの先輩たちが一緒になって、長い時間をかけて探し続けてきた流れを引き継いでいます。2004年10月16日に研究室が出来た時、右も左も分からない中で、がむしゃらに先輩たちと突き進む中で、「何をやるべきか」「どう実現すべきか」を苦しみながら模索し続けました。

様々な経験と失敗、多くの人たちから学んだ交流を経て、ようやくここ何年かで自分としては目指すべき社会の在り方と、そこに至るための住宅の形が見えてきたと感じています。自分は残りの生涯全てを、この課題に取り組む覚悟をもって、研究に取り組んでいます。その価値は十分になると信じているからであり、それを教えてくれたのは皆さんの先輩です。

皆さんは今まで、親御さんの惜しみない愛情と支えの元、よい家族や友達など多くの人から多くのサポートいただいてきたのだろうと思います。「当然のごとく与えられる」ことで大きく成長してきたわけですが、今後は、周りの人や社会に「何を」「どのように与えるのか」が課題になります。

今までは、コンビニで100円そこらでふんだんな工夫がされたおにぎりを選び放題かのように、「外部から与えられるハイクオリティーな商品から好きなものを選ぶ」のが当たり前だったと思います。今後は段々に、そうした「消費者」とは逆の立場、「社会に提供する側」になっていくことが期待されています。

一生を、ただの消費者・批評家サイドだけで終わる人も多くいますが、それが充実した人生につながるのかは私には判断できません。社会に貢献することは苦労も多いですが、充実した人生につながると私は44年の人生を経て強く実感しています。

今後は卒論を通して、みなさんと、自分や先輩たちが一緒に研究をしていくことになります。研究という非常にエキサイティングになりうる社会活動において、我々は対等な関係であり、どちらかが提供する側で反対側が消費者ということはあり得ません。我々は一緒に研究を進めていくパートナーにはなりえますが、論文を書く主体はみなさんです。

卒論を書くことはみなさんが自分で行うことであり、我々はその1行たりとも代行することはできません。みなさんが積極的に我々と一緒に学び議論を重ね、そして仮説をたてて手を動かしていくことが期待されています。

卒論は立派な一つの研究活動です。社会に対し、「現在の社会において何がすでに存在していて」「何が不足しているのか」を的確に分析し、「どうすれば社会の問題が解決できるのか」かを具体的に提案し、その「提案が有効なこと」を証明し、実際の解決策を裏付けをもって「示す」ことが求められます。

社会に貢献することを目指す活動である以上、他人に信頼してもらうために何が求められるのか、ぜひ自分で考えてみてください。立場を変えて、他人がどのようにしていたら、自分はそのアウトプットを信じるのか。想像してみるとよいかもしれません。

社会が大きく変化する中、一人ひとりが社会の問題と解決法を自立的に考え、自分の特性を最も発揮できる形で、人間社会の発展と改善にいかに貢献していくか。皆さんが自分の力を発揮し人間社会や世界・地球に対して貢献していくのかが課題です。

我々一人ひとりは、個性も興味も力が入るポイントも違います。それぞれ個性を尊重しつつ、個人個人が一番力が発揮できる形で、社会をよくすることにどう関わるのか、繰り返し考えてみてほしいと思います。

では、一緒に研究できることを楽しみにしています。今後よろしくお願いします。