200421 卒論生の人たちへ

卒論生の人たちへ

今日は卒論生の人にはじめて参加していただき、ありがとうございます。研究室の人たちと交流して、卒論について考えていってもらえればと思います。

前研で行っていることは、皆さんにとって興味が持てることかもしれませんし、興味が持てないことかもしれません。もちろん、興味を持って一緒に研究していければうれしいですし、興味を持てなければ少し寂しいことではあります。

でも我々は先人が築き上げてくれた、個人の自由を尊重する社会の中で幸いにも暮らしています。個人個人が自分の興味を追求し、自身の個性を最も発揮できると信じる形で社会に貢献することを期待されているわけです。研究室で行われていること、取り組んでいることに対し、興味を持つ持たないは皆さんの自由です。

ただ一つだけ、これは忘れないでもらえるとうれしいのですが、皆さんは必ず人生のどこかで、「社会はどうあるべきか」「あるべき社会に向けてあなたは何を貢献できるのか」について、必ず問われることになります。

前研で行われていることは、自分や谷口さんや協力してくれる方々、そしてみなさんの先輩たちが一緒になって、長い時間をかけて探し続けてきた流れを引き継いでいます。2004年10月16日に研究室が出来た時、右も左も分からない中で、がむしゃらに先輩たちと突き進む中で、「何をやるべきか」「どう実現すべきか」を苦しみながら模索し続けました。

様々な経験と失敗、多くの人たちから学んだ交流を経て、ようやくここ何年かで自分としては目指すべき社会の在り方と、そこに至るための住宅の形が見えてきたと感じています。自分は残りの生涯全てを、この課題に取り組む覚悟をもって、研究に取り組んでいます。その価値は十分になると信じているからであり、それを教えてくれたのは皆さんの先輩です。

皆さんは今まで、親御さんの惜しみない愛情と支えの元、よい家族や友達など多くの人から多くのサポートいただいてきたのだろうと思います。「当然のごとく与えられる」ことで大きく成長してきたわけですが、今後は、周りの人や社会に「何を」「どのように与えるのか」が課題になります。

今までは、コンビニで100円そこらでふんだんな工夫がされたおにぎりを選び放題かのように、「外部から与えられるハイクオリティーな商品から好きなものを選ぶ」のが当たり前だったと思います。今後は段々に、そうした「消費者」とは逆の立場、「社会に提供する側」になっていくことが期待されています。

一生を、ただの消費者・批評家サイドだけで終わる人も多くいますが、それが充実した人生につながるのかは私には判断できません。社会に貢献することは苦労も多いですが、充実した人生につながると私は44年の人生を経て強く実感しています。

今後は卒論を通して、みなさんと、自分や先輩たちが一緒に研究をしていくことになります。研究という非常にエキサイティングになりうる社会活動において、我々は対等な関係であり、どちらかが提供する側で反対側が消費者ということはあり得ません。我々は一緒に研究を進めていくパートナーにはなりえますが、論文を書く主体はみなさんです。

卒論を書くことはみなさんが自分で行うことであり、我々はその1行たりとも代行することはできません。みなさんが積極的に我々と一緒に学び議論を重ね、そして仮説をたてて手を動かしていくことが期待されています。

卒論は立派な一つの研究活動です。社会に対し、「現在の社会において何がすでに存在していて」「何が不足しているのか」を的確に分析し、「どうすれば社会の問題が解決できるのか」かを具体的に提案し、その「提案が有効なこと」を証明し、実際の解決策を裏付けをもって「示す」ことが求められます。

社会に貢献することを目指す活動である以上、他人に信頼してもらうために何が求められるのか、ぜひ自分で考えてみてください。立場を変えて、他人がどのようにしていたら、自分はそのアウトプットを信じるのか。想像してみるとよいかもしれません。

社会が大きく変化する中、一人ひとりが社会の問題と解決法を自立的に考え、自分の特性を最も発揮できる形で、人間社会の発展と改善にいかに貢献していくか。皆さんが自分の力を発揮し人間社会や世界・地球に対して貢献していくのかが課題です。

我々一人ひとりは、個性も興味も力が入るポイントも違います。それぞれ個性を尊重しつつ、個人個人が一番力が発揮できる形で、社会をよくすることにどう関わるのか、繰り返し考えてみてほしいと思います。

では、一緒に研究できることを楽しみにしています。今後よろしくお願いします。